連載「脳力のレッスン」世界 2008年3月号
2008年の日本経済を考える視座——統計数値から見る日本を取り巻く潮流変化
統計数値は一瞬を切り取ったものにすぎず、「行く川の水」のごとく常に変化している動態を便宜的に止めてみせたものである。それでも、時代の観察者は自分の足や耳目で実感した現場のフィーリングや勘のようなものを、絶えず数字で検証・確認する作業を怠ってはならない。そのための素材として統計数値は重要であり、東洋経済新報社発行の『統計月報』などを身近に置き、暇があれば数字の変化の背景にある意味を考えている。「オンリー・イエスタディー」(ほんの昨日の出来事)という表現があるが、過ぎ去ったばかりの二〇〇七年についての統計が順次明らかになっており、今我々が生きている時代を確認する上で興味深い。これは向き合うべき二〇〇八年を考える上で重要な示唆となる。まず、日本を取り巻く物流と人流、つまりモノとヒトの動きを確認しておきたい。
物流と人流の激変
まず、二〇〇七年の日本の貿易総額(輸出入合計)に占める対米貿易の比重は一六・一%にまで低下した。前年の二〇〇六年が一七・五%であったから日本にとっての対米貿易の比重は一段と低下したことが分る。ちなみに中国との貿易比重は一七・七%となり、暦年で戦後初めて対米貿易を対中貿易が上回る年となった。中国に香港、シンガポール、台湾を加えた「大中華圏」との貿易比重は二七・八%、アジアとの貿易比重は四五・八%となり、通商国家といわれる日本は、加速度的に中国を中核とする「大中華圏」、そしてアジアとの貿易で産業を成り立たせるという潮流の中にあるのだ。日本にとって「貿易とは主に米国と貿易すること」という戦後半世紀以上続いた構図は完全に終わったのである。
人流においても大きな変化がみられた。二〇〇六年には、日本人出国者のうち米国への出国者三六七万人、中国への出国者三七七万人と、戦後初めて中国への渡航者が米国への渡航者を上回った年として話題になったが、二〇〇七年にはこれまた戦後初めて訪日外国人における米国からの訪問者八二万人を中国からの訪問者九四万人が上回った。また、同期間の大中華圏からの訪問者は三〇〇万人を超し、ヒトの動きにおいても、日本は中国をはじめとするアジアとの「相互交流時代」を迎えたのである。ヒトとモノの動きの変化の中で国際関係の今後を考えるとき、「アメリカを通じてしか世界を見ない」という戦後六〇年で埋め込まれた日本のトラウマともいうべき固定観念を脱し、米国との同盟関係を大切にしつつも、アジア・ダイナミズムとの相関で生きていかざるをえないことを基本認識とする必要がある。
円安の構造
大中華圏からの来訪者が急増している背景に、今世紀に入っての為替レートの変化がある。二〇〇〇年平均と二〇〇七年平均の対比において、中国人民元は管理された枠組みの中にあるにも関わらず円に対して一九・〇%高くなった。同様に香港ドルは九・二%、シンガポール・ドルは二五・一%高くなり、つまりこれらの国から日本を訪れる人にとって、この七年で日本の物価は極端に安くなったと受け止められるはずである。この間に国民所得が倍増している中国の場合、購買力に対する日本の物価は六〜七割安くなったという受け止めであろう。ただし、台湾ドルだけは七年間にわずかに三・七%の対円レートの変化であり、例外である。
かつて、香港、シンガポールといえば日本人の「買い物天国」であった。だが、話は完全に逆転しはじめている。正月三日の夕方に香港に行くフライトに乗ったが、新年を日本で迎えた中国・香港からの旅行者が埋め尽くしており、多くは銀座のブランド店の紙袋と東京ディズニーランドの紙袋を手にしていた。日本人にとっては香港・シンガポールに行っても、今や何もかもが高くなり「東京で買ったほうが安い」という時代になってしまったのである。為替レートで、もっと極端なことが進行しているのが豪州、韓国、ロシアとの関係である。二〇〇〇年平均と二〇〇七年平均との対比で、円に対して豪州ドルは実に五七・九%、韓国ウォンは三二・九%、ロシア・ルーブルは二〇・四%も高騰している。
北海道のニセコに年間七万人を超すスキー客が豪州から訪れ、別荘やマンションを購入するようになり、土地価格の高騰をもたらしている。また、新潟県苗場のスキー場にロシア人観光客が急増し、ホテルが活況を呈している。さらに、大分県の別府などの温泉地は年間一〇〇万人を超す韓国からの来訪者によって支えられる状態になっている。こうした動きの背景にはそれらの国の通貨に対する相対的な円安化の進行という「為替の魔術」という要素が働いていることに気付く。
資源大国といわれる豪州の場合、資源価格高騰の追い風を受けて、今世紀に入って国民所得が二倍以上にもなっており、しかも自国通貨の円に対するレートが六割も高騰したのだから、日本の物価は四分の一になったというのが実感であろう。
縮む日本をもたらしているもの
「景気刺激」を名目に、日本は一二年連続で公定歩合が一%水準を割るという「超低金利政策」を続けている。日銀がゼロ金利を解除し、昨年二月に〇・二五%積み上げて〇・五%というのが現在の水準である。米国は連銀のFFレートを〇六年五月に五・二五%にまで引き上げていたが、昨年八月に噴出したサブ・プライムローンの問題に震えあがり、昨年九月以降四回にわたって金利を引き下げ、一月末には三・五%にまで低下させた。日米の金利差は縮小したが、それでも三%程度の金利差が存在する。欧州諸国は四%水準で、豪州などは六%水準にあることを思うと、先進諸国の中でも際立って日本の金利水準が低いことが分かる。日本の個人金融資産は一五五〇兆円とされるが、これが日本の超低金利を嫌って海外へと吸い出されている。いわゆる「円キャリー」である。機関投資家が円資金を日本で調達して海外で運用するパターンでの厳密な意味の「円キャリー」はせいぜい二〇〇〇億ドル程度と推計されるが、個人投資家や企業が金利差益を求めて海外に資金を移動させる「ミニ円キャリー」を含め、「円キャリー一兆ドル」という数字が国際社会で語られている。二〇〇七年末の日本の対外純資産が約二兆ドルと推定されており、「円キャリー一兆ドル」も誇張ともいえない。
つまり、日本人が努力して蓄積してきた金融資産は、「ゼロ金利の日本に置いていても利息も生まない」状況の中で海外へと向かい、日本企業や日本産業を支える資金とはなっていないということである。そして、皮肉なことに日本の企業への投資は「外人投資家」が支える形となっている。東京証券取引所の六割の取引を外人投資家が支え、上場企業の二八%の株を外人投資家が保有している(〇七年九月末現在)。今年に入ってからの日本株下落も、外人投資家の「日本売り」が進行しているからであるが、ニューヨークDOWの最大下げ幅が一五%であったのに対して、日経平均の下げ幅が三一%であったということは、日本の株式市場が外人投資家頼りの危うい構造の中にあることによる。海外に出た日本の金融資産は、外資の投資ファンドにも還流し、日本企業への投資どころか買収資金にもなって襲いかかるのだから何とも切ない話である。日経平均がバブルのピークで最高値にあった一九八九年末に三・九万円台だったのに比べ三分の一水準を低迷しているのも、産業の実力とは別に近隣諸国通貨に比べて「円安化」してきたのも、突き詰めれば超低金利を続ける金融体系の歪みがもたらしたものともいえる。
日本人には誤った固定観念がある。日本は輸出志向の国だから「円安のほうがよい」という考えで、その判断に突き動かされて円安誘導で米国債を買い続けてきた。また、景気刺激のためには「金利は低いほうがよい」という固定観念で、その結果が海外への金融資産の流出であった。日本経済の実態を踏まえた総合戦略の再構築が求められている。

